Success Canada Inc. サクセスカナダ留学センター
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日本からのお手紙
 

56歳の挑戦

私は年早く退職し、カルガリーに留学しました。別にこれは前々から決めていたわけではなく、職場の状況も年々厳しくなり、体力と気力のある内に辞めたいという気がありました。しかし、いざ辞めるとなると決心がつかず悩みました。この辞めるか否かに比べ、留学はさほど悩まず、辞めるイコール留学が私にはセットになっていました。            

初めのヶ月と少しはホームスティしました。私の希望は私よりも年配の方のおうちというのが希望で、私もすぐに迎える老後をいかにカナダの夫婦は過しているか見たかったからです。この夫婦は80歳を過ぎたHost mother80歳近くになるHost fatherでしたが、大変若々しく行動的でした。二人はお互いに協力しあって生活していて一人が料理をしている間に一人が洗濯機を回して‥という具合です。週回はスポーツジムに二人で通いプールで歩くなどのExercise(運動)をし、週回は刑務所のボランティア、金曜日の夜は友達をよく招いて食事をして、土曜日はあちこちの公園にホームスティさせている学生と行き、日曜日の午前中は必ず教会に行き‥と、この夫婦は時間をもてあましている日はありません。この老夫婦は私たち学生(私の他に30歳の日本人男性がいました)に干渉しすぎず、ほったらかしにしすぎずとても居心地のいい家でした。

この後月からアパート暮らしをしました。私の借りた部屋は代々留学生が使っていてベッド、机、テレビ、食器など何でもそろっていて前の住人から、これらを買い取ります。家賃には光熱水費も含まれていて、部屋は二重ガラス窓、暖房はコントロールヶ所でどこも暖かくなります。部屋の中は日本の家よりも暖かく冬でも Tシャツ枚で十分でした。アパートでの一人暮らしは何でも一人でやらなくてはいけなく銀行、電話の応対、アパートの補修交渉など‥これが結構大変でしたがおかげでたくましくもなりました。英語がしゃべられるしゃべられないに関わらず一人でやるしかない!の心境でした。思うようにいかず落ち込みそうになる時は気持ちを切り替えて「ここに来られただけで幸せ!」と思う様にすると意外と立ち直れました。

さて、留学先の学校ですが初めのヶ月は移民の人達が行く学校を選びました。ここは年齢層の幅が広く、日本人は私を含めて二人だけでした。しかし、後で気がついたのですが校長先生は日本人でなんと日本式の教育方法を取り入れていて、50分授業、10分休憩で教科ごとに先生が代わりました。カナダでは珍しいと思います。 Canadian Livingのクラスではカナダの歴史、法律、習慣、交通ルールまで習い、私には大変難しかったのですが、カナダを知る上で役に立ちました。

次に行った学校は公立のカレッジのESLコースで私立のESLコースよりもアクティビティ(課外活動)が少なくしっかりした学校でした。生徒は17歳から28歳位で私がダントツ歳を取っていましたが皆フレンドリーで、私には違和感がありませんでした。学校では、毎日宿題が出る上に、日記も書く課題があり、帰ってから一日に平均4~5時間勉強していました。しかし、月に2~3回アクティビティがあり、今まで経験しなかったアイスホッケーの観戦やスキー、スケート、ボーリング‥と楽しみました。又、金曜日が半ドンで、クラスメートと一緒にLunchを食べに行ったり私のアパートに来てもらったり楽しい日々を過しました。

カナダは雄大です。 Calgaryには入場料のいる遊園地が無く、こちらの人は土、日曜や普段の日の夕方になると広い公園を散歩したり、ジョギングしたり、インラインスケートをしたり、マウンテンバイクに乗ったり、夏には川にボートを浮かべたりします。彼らはお金を使わずに自然と向き合って楽しんでいるなと感心しました。私もアパートのすぐ前のボウ川沿いの公園に毎日散歩に行きました。夏は夜10時半まで明るく、人々は思い思いに楽しんでいます。日本人は通勤時間や労働時間が長く、疲れ果てているけれどカナダの人はゆったりしています。又、どんな仕事をしていても楽しんでやっているのが印象的でした。日本人は大企業に勤めエリートになった人が偉いという様な風潮ですが、どの仕事がよくてどの仕事がダメではなく、自分が自分らしく生きる事が出来るかどうかが大切であるという事を感じさせられました。又、車椅子の人も当然一人で外に出かけて電車に乗ったり出来るのも日本よりも進んでいます。そして、どのトイレも車椅子用のトイレが整備されています。

又、カナダは移民の人を多く受け入れ、うまくその人達と共存していて人種差別が感じられません、その意味でも誰もが住みやすい国でした。私たちアジア人も特別視される事はまったくありませんでした。カナダの人は教会に行っている人が多く、初めにスティしたおうちも毎日曜日は教会に行っていました。ここの教会は全然堅苦しくなく歌を歌い、終わるとお茶とお菓子がふるまわれ社交の場でした。私はこれを見て日本ではお年寄りの孤独死が問題になっていますがカナダでは教会が一つの友達づくりの場になっていて、一人ぼっちの人をなくすためにも大きな役割を果たしている様に思います。又、教会に行くだけでなく、教会の友達を呼んで家で一緒に食事をするなどが度々あり、日本の閉鎖的な生き方とまったく違います。又、ボランティア活動も盛んで Calgary空港では案内役を年配のボランティアの人達がやっていました。

私が出会ったカナダ人は皆フレンドリーで心の優しい人達でした。学校の先生を呼ぶ時は名前を呼びます。「Teacher!」などと間違って呼ぶと、僕は〇〇という名前なんだよ!と返って来ます。ジョークが大変上手で頭ごなしに人を叱ったり批判したりしません。回目の学校の先生(Roy)は私と同い年の先生でしたが「昨日のプリントの答え合わせをするよ〇〇君、1番読んで!」と言うのですが生徒はいっぱいのプリントをもらうので取り出すのに時間がかかっているとRoyはいびきをかいて寝た振りをします。プリントを出すのに時間がかかって俺はもう待ちくたびれて寝ちゃったよ!とでも言っているのでしょうか?私はこのRoyのジョークが大好きでした。同じアパートの住人で私に掃除機を貸してくれたショーンは日本が大好きなカナダ人でした。私が「なかなか会話が上達しなくて!」と言うと練習しようと言って、日本語も話せるけれど決して日本語は使わず英語で話してくれました。個人的に習った英語のTutor(個人教授)のウォレンもまた心優しく私が「会話を上達させたい」と言うと自分の休憩時間を週1回フリートーキングに当て、無料でしてくれました。

若い時に留学できればそれはそれで人生に大きく影響するでしょうが、この歳で留学して若い人には感じないものも感じられたのではと思っています。最後の頃は皆に信頼され、頼られもして日本人、他のアジアの人からの相談にもよくのりました。あまりにも追われる学生生活だったので最後のヶ月は学校を辞めて、旅行に出かけたり、カナダの生活を楽しんだりしました。旅行中も結構カナダ人と話す機会がありましたが、いつの間にか彼らの英語がよく聞ける様になっていました。学校に通ったヶ月は必死で勉強しましたが、この歳でも必死にすればできることが実感できました。それにお金を払っているのだからもったいない精神で、ほとんど休まず通い続ける事が出来ました。又、初めにスティした DorisMaxとはアパートに住んでからもずっと交流があり、若い人達よりも心通う付き合いが出来たのではと思っています。

最後に、私が留学を成功させる事が出来たのは、サクセスカナダさんの援助があってこそです。行け行けどんどんで行ったものの、あっちこっちで判らない事だらけでそのたびに、お邪魔していたように思います。本当にありがとうございました。

中本 由美子

 

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